先日東京に出張した.その時のことを記す.
土曜日午後 6 時.台風接近の前日で小雨が降っていた.用事を終えた俺は品川駅に向かった.切符を買って山手線に乗る.降りたのは浜松町駅.来る時にゴールドジムを見かけており,終わったらここに来ようと決めていた.
降りたはいいが,土地勘がないと道がさっぱり分からない.駅の構造や降りていく階段が頭に入ってないとどこに出るか分からない.Google Map があるとは言え,片手にカバン,片手に傘ではスマホが見られない.正面の出口から降りればすぐだったものを,何を勘違いしたのか反対側の出口から出てしまい,公園の側に降りてしまった.旧芝離宮恩寵庭園というのだそうだ.公園と線路の間に道がない.結局公園をぐるりと迂回するハメになった.この時点で既に疲れてしまう.職場にいつも持参するカバンなのに,ズシリと重い.
Google Map ではもう着いているはずなのに,入口が分からない.汐留芝離宮ビルディングの中に入口があるのかと思っていたが,実際は外にあった.
受付の女の子は中々可愛かった.ビジターパスを出す.身分証明書を求められ,運転免許証を出す.表裏の同意書にサインし,ロッカールームに案内される.カードキーを差すとロッカーのキーが抜けるシステムになっていて,合理的だと感じた.
トレーニングルームには名前も知らないマシンが多数置いてあった.手前がマシンスペース,奥がフリーウェイトスペースになっている.ジム内は撮影禁止のため,写真はない.Google ストリートビューの写真で見てもらう方が早いだろう.
この日のコンディションは良くなかった.直前 6 時間何も口にしておらず,空腹の状態だったため,普段よりもウェイトを軽くすることにした.
- スクワット 75 kg 10 rep 3 set
- インクラインベンチプレス 50kg 12 rep
- インクラインベンチプレス 60kg 6 rep, 5 rep, 6 rep
- ベンチプレス 60 kg 8 rep, 10 rep, 8 rep
- ダンベルフライ 11 kg 12 rep 3 set
- ラットプルダウン 55 kg 10 rep 3 set
- デッドリフト 80 kg 10 rep 3 set
- サイドレイズ,フロントレイズ,リアレイズ 6 kg 10 rep, 2.5 kg 10 rep 3 set
午後 7 時からトレーニング開始して上記をこなすのに 2 時間かかった.負荷が軽いことを除けば普段通りだ.シャワーを浴びて着替え,受付でゴールドジム謹製の Power Grip Pro を試着させてもらう.Amazon ではサイズが分からず注文できずにいた.
その時だった.小柄で髪の長い美女が入ってきて息を飲んだ.身長は 150 センチ,体重 40 kg 台後半と見えた.細身でお尻が締まっており,そそる体型だった.顔は爬虫類系ベースだったが幸せそうな笑みがこぼれており,A クラスと判断した.ロッカーに入っていくまで思わず見とれた.
あんないい女が土曜日の夜 9 時にジムだって?普通,男と過ごしている時間だろ?どうなってるんだ,東京は?疑問符が 10 個ほど浮かんだがいそいそとカード決済して M サイズを購入した.カバンは既にパンパンだったため,袋のまま持ち帰ることにした.
着替えて出てきた彼女はやっぱりきれいだった.初心者用コースでこれから 2 時間トレーナーに付いてもらうらしい.名前からすると東南アジアから来た外国人のようだった.よろしくお願いします,とトレーナーさんに 45 度のお辞儀をしていた.くう,トレーナーが羨ましすぎる.
何となく受付のお兄さんとトレーニング談義が始まった.フォームについて質問する.ラットプルダウンとデッドリフトが話題になった.ラットプルダウンではパラレルグリップバーを肩関節を水平内転させて引いていたが,それでは力が広背筋にかからないと指摘された.肩は外転させて引くべきだと.大円筋に入ってしまうと食い下がったが,大円筋と広背筋両方に入るよと指摘された.
デッドリフトではシャフトの軌道が話題になった.脛骨に添わせて引き挙げていたが,上下一直線の軌道を描くように引くべきだと言われた.脳天から吊り下げられて引くようなイメージを持てと.
俺の住む県にはゴールドジムがない.お兄さんはまた東京まで来てくださいと笑っていたが,俺の県にも出店してくださいと混ぜ返しておいた.
外は小雨が降り続いていた.Google Map によれば,数百メートルでホテルに着くはずだった.傘を差し,歩き始める.途中で牛丼屋を見つけ,特盛を食べる.飲食店の入居したビルや居酒屋を通り過ぎ,人気の少ない小道に入る.カバンが重い.着いたところでスマホを確認する.なんてこった,港区役所に来てしまった!ふと見上げるとライトアップされた東京タワーが雨に霞んでいた.どうしようもない状況だったが,その美しさに一瞬見とれた.
改めてホテルの住所を入力し直し,ガイドを再開する.今の俺にはスマホが生命線だ.しかしバッテリーの残量は 20 % を切っている.低電力モードへの切り替えを促される.幸いあと数分歩けば着きそうだ.
ホテルには外国人の宿泊客が多かった.ビジネスホテルだから中国人が多いのかもしれない.エレベーターはルームキーをかざして呼び出す仕組みで,受付から視認できる位置にある.女を連れ込むのは難しそうだ・・・
荷物を部屋に置き,一階のコンビニで夜食とビール,明日の朝食を買う.店員は二人とも外国人だったが日本語を流暢に話す.部屋に戻って食す.入浴後,缶ビールを空ける.就寝は 11 時.
翌朝は 4 時に目覚めた.5 時までモゾモゾと過ごす.起き出して朝食を食べ,身支度をしてチェックアウトする.山手線に乗り,東京駅へ向かう.改札で新幹線のプラットホームに入ろうとするが,なぜか通してくれない.乗ってきた路線の切符がないためだった.この辺りも普段乗り慣れていないと分かりづらい.
出発まであと 20 分.腹が痛くなる.トイレだ,トイレ.
お腹がスッキリしたところで土産を売っている店が開いてないことに気がついた.この時間はまだ無理か,とキオスクに向かう.一個買って QUICPay で支払おうとしたが,Suica でないとダメだという.諦めて現金で支払いをしている時,出発のベルが鳴っていた.
俺が乗るはずだった新幹線は,無情にも俺を置いて出発していた.
慌てても仕方がない,と自分に言い聞かせた.駅員に次の便を確認する.一時間半後だ.それまで自由時間ができたことにしよう,そうしよう.ならば,ナンパしかない.
しかし,である.普段ストナンすらしたことない俺が,いきなり駅ナンなどできるはずもない.しばらくホームや待合室,コーヒーショップ前をうろつくばかりであった.それにしてもカバンが重い.これさえなければもっと自由に動けるのに.改札をくぐるとコインロッカーすらない.
最初は新幹線のグリーン車専属車掌の女の子に声をかけた.グリーン車専属ですか?とか何か言ったような気がする.車掌の女の子は営業スマイル全開で答えてくれた.とりあえずオープンして会話したことにしよう.
次に話しかけたのは二人組の旅行客風の女子.これからどちらへ?と聞いた.あ,群馬ですと答え.高崎で降りるんですね,具体的にはどちらへ?このあたりから雲行きが怪しくなってきた.表情が固くなり,そっぽを向かれることが多くなる.話しかけると一度はこちらに顔が向くが,答えるとすぐに向こうを向いてしまう.よい旅を,と言って離れる.自己開示せずに質問ばかりして警戒されてしまったのかもしれない.多分,キョドっていたのだろう.
可愛い女の子はいるにはいた.しかし,チャンスは本当に数秒間しかない.売店の商品棚に並んだ時,売店から出てきた時,階段を上がりきった時,話しかけるチャンスは何度もあったはずだった.しかし勇気が出ない.ホームを歩きながら地蔵していた.
タイムリミットまであと 30 分を切っていた.自由席にしか座れない.そろそろ列に並ばないと.そう思って自由席側のホームに移動した.列の先頭の女の子が目に入った.自然に声をかけていた.これからどちらまで?俺ねえ,おみやげ買っていたら予定の新幹線に乗り遅れちゃってさ,とか言った気がする.大学 4 年生で食品関連の会社に内定が決まり,これから青森県の支所へ歓迎会に向かうところだと言った.前向きな感じが伝わってきて,とてもいい感じの子だった.結構盛り上がったが,連絡先は聞けなかった.車内の清掃が終わってドアが開き,彼女は新幹線に吸い込まれていった.
ホームには先発列車の待機列と後発列車の待機列がある.女の子が乗車すると先発列車の列が空いた.後発列車の待機列の先頭に細身の若者がいて,自然とそちらに会話がオープンした.スーツケースとおみやげの入った紙袋を下げていた.聞くとセブ島から短期留学の帰りだという.英会話学校?と聞くとそうだと.
学校と提携した寮に住んでいて門限が厳しく,5 回門限を過ぎると退学になってしまうため夜遊びには行けなかったのだとか.アパート借りればよかったのに,と言うと実はそちらのほうが安かったかもしれない,と言った.中国から来てる留学生なんかは金があってコンドミニアムに入り,結構優雅に遊んでいたそうだ.
何か運動してる?と筋トレ方面に話題シフトする.部活でテニスしてると.「スマッシュって肩で打つんだよね,パワーないと厳しいんじゃ?」と聞くと,「筋肉つけすぎると関節が固くなってフォームが崩れるんですよ」と.「でもプロの選手とか結構筋肉ついてるでしょ?」というと「たしかにがっちりした選手なんかはスマッシュの風を切る音が違います」と言った.「ボールのスピードもぜんぜん違います.もう全身がムチのようにしなって打つフォームがとても美しいんですよ」と.
「物理法則そのものだよね,やっぱ筋肉ないとね.ところで体重何キロ?60 キロくらい?」「あたりです」「あと 10 キロ増やさないとダメなんじゃ?」「そうなんですよ」「筋トレ必要だよね.実はね,体鍛えるようになると筋トレそのものより食事と休養が大事だって気がつくんだよね」今度は栄養方面にシフト.
「身長と体重と年齢から一日に必要なカロリーが決まる.一番大事なのはたんぱく質.これは体重の 2 倍.体重 60 キロなら 120 グラムだね.牛肉で摂るなら一日 600 グラム食べないといけない」「そんなに食べられません」「たしかにね.だからコンビニでサラダチキンとか売ってるでしょ,あれを食事に追加する.一個 27 グラムくらいかな.次が脂質で,カロリー全体の 25 % くらい.できれば不飽和脂肪酸で摂ったほうがいい.ナッツとか,青味の魚とか.乳製品もいいよ.ダメなのはマーガリンとかショートニング.トランス脂肪酸が大量に含まれていて血管の老化を進行させるからね」彼は真剣に聞いている.「で,残りを炭水化物に割り当てる.外食すると大抵たんぱく質が少なすぎ,脂質と炭水化物が多すぎなんだよね.ご飯は大体 220 グラムくらい入ってる.あれは大盛りだから,半分でいい」
「最初がたんぱく質,次が脂質,残りを炭水化物に割り当てるってことですね」ちゃんと理解したようだった.「マクロ栄養素,で検索してみて」「マクロ栄養素」確認するように彼は言った.
新幹線が来た.俺たちは当然のように隣り合う席に座った.
「人は行動でしか変われない」唐突に俺は言った.「自分探しは程々にしておいたほうがいい」何か刺さるものがあったようだ.「頭で考えると思考がループして抜け出せなくなる.それを打破するのは行動しかないんだ」会話の間に沈黙が訪れても気にならなかった.相手に言葉が浸透し,咀嚼し,出てくる言葉を待つ.
「親との葛藤はあるかい?特に,父親との」彼には理解しがたい概念のようだった.「親との葛藤,ですか?」父親と息子の葛藤は古今東西を問わず文学作品のテーマの一つだ.仕方なく自己開示する.「俺はしばらく前まで親に仕送りをしていたんだ.結構な額をね.でも子供が生まれて余裕がなくなり,ある時仕送りをやめたいと言った.血相を変えて乗り込んできたよ.絶対ダメだ,ってね.その時は大喧嘩になったよ.で,親とは絶縁することになった.親関係の親戚とも一切連絡を止めた.でも結局それが本当の意味で親から自立するきっかけになった」少し間をおく.
「君の親は今は元気かもしれない.でも年月が経って体が弱ってくるといろいろな意味で子供に頼るようになる.同居していたら尚更だ.親は子供の財布は自分の財布だと思って平気で手を突っ込んでくるんだよ」これには衝撃を受けたようだった.「そんなことがあるんですか?」「ある.だから大学進学や就職は親から離れて自立する絶好の機会なんだ」「そろそろ就活を始めないといけないんですが,地元に就職しようか東京に出ようか迷ってるんです」彼は大学 3 年生だった.部活はそろそろ引退する頃なのだそうだ.
「絶対に東京に出るべきだよ」「実は親もそう言ってくれてるんです.私達のことはいいから,一度は広い世界を見てきなさいって」「なんで地元と迷うんだい?」「地元に貢献したいって思いもあります」嘘だな.「親に申し訳ないから?」「・・・そうです」やはり.「実は今度の留学も全額お金出してくれていて,ありがたくて申し訳ない思いで一杯なんです」「君はね,いずれ結婚して世帯を持つだろう.その時親は自分たちが子供の負担になりたくないって思ってるんだよ.君がすべきなのは親元でずっと暮らすことじゃない.遠くででも幸せになることなんだ.親が危篤になった時だけは会社を一週間ほど休まないといけないけどね」
「付き合ってる人はいるの?」大学の同級生と付き合っていて,彼女も東京に出ようとしているらしかった.「残酷なことを言うようだけど」と前置きした.「今の彼女とは別れることになるかもしれない.遠距離になったら尚更だ.物理的に離れてしまうとどうしてもそうなる.でも,それで彼女が君よりもっといい男と付き合うようになって,君も今の彼女よりもっといい女と付き合えれば,それはそれでお互いに幸せなんじゃないかな」「もっといい女」彼は繰り返した.
「話してると君と親の関係はすごくいいようだね.羨ましいよ」「そうなんです.ありがたくて,とても申し訳なくて.涙出てきた・・・」そう言って彼は目頭を押さえた.沈黙の時間がしばらく続いた.
「音楽は聴くの?」「実はあまり聴かないんですけど,このまえ欅坂 48 を偶然聴いたら,すごく良くて」「どんな風に?」「自分よりも年下で若いのに,すごく一生懸命で目標があって頑張ってて,それが凄いと思いました」「それで?」「なのに自分は何か一生懸命になれるものがなくて,このままでいいのかとずっとモヤモヤしてるんです」「命を燃やしてる様子が羨ましいと」
「頭で考えてると思考がループするよ」筋トレの話題に戻す.「そういう時はとにかく体を動かして疲れさせるのがいい.筋トレはね,体に生命の危機が迫ってると勘違いさせてるんだよ.ベンチプレスでバーベルに潰されるってのは,体にとって死を意識させるに十分な刺激なんだ.すると次からはそれに対応しようとして肉体をより強靭に作り変えようとする」これはみの氏の受け売り.
「死が迫ると人は生存本能が前に出てくる.生きよう,という本能だね.すると男性ホルモンがいっぱい出る.男性ホルモンが出ると野心が出て来る」「野心」こいつ,トラックバックできてるな.「金を稼ぎたいという欲求と,いい女を抱きたいという欲求だね.実際に野心を燃やすと金を稼ぐために一生懸命働くようになるし,女はそういう男を好むんだ」
「狩猟時代のことを想像してみよう」風呂敷を広げる.「あの時代まだ農耕はなかった.生きていくには男は獲物を捕まえて来なければいけなかった.筋肉がついている男ってのは,ちゃんと獲物を捕まえる能力があって,実際に肉を食べている男なんだよ.女は筋肉のついた男を見ると,本能的に自分と子供を養う能力がある,と感じて好きになるんだ」これはサウザー氏の受け売り.「・・・完全に納得です」「農耕が始まってほんの数千年,人の歴史は数十万年.人の作りがそんな短期間で変わるわけがないんだ」
「筋トレするとメンタルも良くなる.男性ホルモンが出ると前向きに生きるようになるんだ.そういう人はとても人生に対してポジティブになれるんだよ.今日本で筋トレしている人は人口の 1 % ほどって言われてる.筋トレすると男からは尊敬されるし,女から愛される.これは本当だよ.筋トレするだけで,人よりも一段高いところからスタートできるんだよ」少し間を置いて,「金を稼げていい女を抱けたら,いい人生って言えるんじゃないかな」これは所長の受け売り.
「筋トレ,やるしかないね」「やるしかないですね」
あと一区間で到着する.偶然にも降りる駅は一緒だった.俺はカバンを下ろし,彼はスーツケースを押してデッキに出た.新幹線がカーブに差し掛かり,他の客のスーツケースが通路に飛び出した.「危ないな」スーツケースを座席の後ろスペースに押し込み,固定のプレートを出した.車両中程へ歩いていき,持ち主に話しかけた.「スーツケース,あなたのですよね?」
”I can’t speak Japanese”, と彼女は言った.30 代前半の女.B クラスかな.顔立ちが日本人だったので思わず日本語で話しかけたのだが,通じないようだ.”Did you set your baggage on the last of this train?” とっさに口をついて出てきたのはそんな英語だった.文法的には多分間違ってるが,通じたようだ.”Yes, yes.” と彼女.”Your baggage tend to drop on the floor.” “Oh!” と振り返る彼女. “So, so. ” と両手で制して “So, we moved your baggage at the left side.” 安堵したようだった.俺は戻った.「英語だったよ」
何気なく彼のスーツケースに目をやる.白いりんごのシールにネームが貼り付けてあった.W, A, T, A, N, A… おい,偶然にしちゃ出来過ぎだろ.あの聖典の主人公と同じじゃないか.
駅に着いた.ドアは彼のほうが開いた.「じゃあ,元気で」そう言って別れた.俺は彼を追い越し,足早に階段に向かう.階段を降り始めると,初老の夫婦が笑顔で手を振っているのが見えた.奥さん,元 A クラスだ.彼の両親かもしれない.だが俺は振り返らなかった.彼が東京で愛を証明してくれるのを願って,今回の記事を終えようと思う.