その時は気づかなくても,後になって転機であったことが分かる時がある.2010 年が俺にとってそれだった.
発端
前年 2009 年に伯母が亡くなった.脳梗塞で寝たきりとなり,施設を転々とするうちに癌が見つかった.全身状態からして根治手術は不可能で,管から栄養を入れるだけの状態だった.祖母も癌で亡くなっており,次は自分だと父親は思ったのかもしれない.
俺の父親は人格異常者だった.サイコパスと言っていいかもしれない.後で分かったことだが,父親は俺を自分の財布に,妹に自分の介護をさせるつもりだったようだ.いわゆる毒親.子供の人生を支配するために巧妙に立ち回り,逃げ道を塞いで回るタイプというか.その性格ゆえ伯母の嫁ぎ先と折り合いが悪く,伯母が亡くなるまでの間執拗に先方に干渉したために,葬儀の場で先方から絶縁を言い渡されたほどだった.
俺の家系は祖父の代からキリスト教徒だった.しかし伯母の嫁ぎ先は仏教だった.葬儀は当然仏式となる.それが気に食わず,父親は伯母の法要を自分たちだけで嫁ぎ先と関係なくキリスト教式で行うと言い出した.そこまでなら自己満足として勝手にやっていればいいのだが,その費用を俺に出せと言ってきた.
当然俺は断る.ここにきて父親との確執が表面化した.
俺は大学生の頃実家から仕送りを受けていた.卒業して就職し,収入に余裕が出てきたため仕送りの返済を自発的に始めた.今思えば馬鹿なことをしたと思う.父親はその間に仕事を辞め,俺の送金を当てにするようになった.返済が仕送りの総額に達して中止を言い出しても,送金を続けろとの一点張りだった.
何かおかしい.そう感じ始めていた矢先,伯母が亡くなった.妻と協議して電話で送金中止を告げた瞬間,父親は豹変した.
送金を続けないなら命の保証はしない.たしかにそう言った.残り 3,500 万円返してもらう,とも言った.
呆気にとられるとはこのことだ.こいつは何を言っているんだ?ここに来てようやく,俺は父親が異常な人間であることに気がついた.
翌日,両親が俺のところに乗り込んできた.激しい罵り合いの末ようやく二人が帰った後,怯えて隠れていた娘が泣いた.
俺の家系では DV が常態化していた.父親も,祖父も,曽祖父も自分の妻を殴っていた.自分の妻だけでなく子の妻も虐待していた.俺は父親が母親を殴っている所を見たことはない.しかし,妹は見ていた.
祖父は結核のため定職につかず,家系は祖母が支えていた.父親はそんな祖父を心底憎んでいた.にも関わらず,父親は祖父と同じように子供から搾取している.貧困と虐待の連鎖だった.
このままでは俺も家族も不幸になることは明らかだった.
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