焚き火

 「お前の父は,立派な戦士だった」

 彼は朴訥と語った.傍らには男の子が座っている.年の頃は 10 歳前後だろうか.細身で背が伸びつつあり,手と足は体よりも不自然に大きい.

 「お前の父は,俺の兄でもあった.勇敢な戦士だった」

 その話はこれまでも何度か聞かされている.若い頃,狩りに出かけた時に虎と遭遇し,命からがら撃退したこと.一族が飢えに苦しんでいた時に一か八かの賭けに出て重症を負い,その傷が元で死んだこと.

 男の子は頷いて焚き火に向き直った.火にくべられた枝は時折ぱちっとはねて火の粉を飛ばす.ゆらゆらときらめく炎が男の子の顔を照らし,濃い影を落としていた.火の勢いはだいぶ弱まってきているが,まだ消えるには程遠い.

 男の子の叔父,今は父親としての立場だが,彼は男の子の目をじっと見つめた.兄に似ている.最近はずいぶんと生意気になってきた.何か一言言うと,倍になって返ってくる.もうそういう歳になったのだな.俺もこいつくらいの歳にはそうだったっけ.

 最近は死んだ父親のことをよく聞いてくるようになった.そのたびに同じ話をする.この子の中では,父親は偉大な戦士として刻まれているに違いない.実際にはそんなことはなく,母親,今は彼の妻だが,とよく喧嘩していたっけ.

 苦笑いする.不思議なものだ.妻が自分に怒るとき,一呼吸おいている気がする.兄とかぶっているのかも知れない.

 妻は先に寝ている.腹が大きくなってきており,あと新月が 2 回ほど過ぎれば赤ん坊が生まれるだろう.時々,腹の中から蹴っているのが分かる.その時の妻は実に幸せそうな顔をしている.

 彼は男の子に弓の射方を教えていた.動くものに対する見方には目を見張るものがあった.獣の走る先を見越して矢を射ることを繰り返し教えている.体が小さくてまだ大人の使う弓は引けないが,いずれ上手に射るようになるだろう.

 「もう寝よう」

 くすぶった枝に灰をかけて,彼は男の子に言った.男の子は頷いて立ち上がり,彼の後について天幕に入った.

 半分に欠けた月が夜の平原を照らし,時折獣の声が遠くから聞こえてくる.静かな夜であった.

葬儀

葬儀

 「今,我々は彼の体と魂を神々にお返しする」

 長老の一人が告げた.人の輪の中心には細長い穴が掘られており,若い男が一人横たえられている.その胸には数条の爪痕が古傷として刻まれている.脇腹には紫色の痣ができており,その中心には深い傷跡があった.

 「彼は勇敢な狩人であり,良き夫であり,尊敬すべき父親であった」

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東への旅

 一族は旅を続けていた.男の数は 30 名あまり,女は少なく 10 名程度,子供は 20 名ほどだった.この数年来,一族の数は少しずつ減っていた.長旅の途中に病で命を落とすものが多かった.

 5 年前,彼らはもっと大きな群れの一員だった.彼らははるか西の大きな平原で暮らしていた.長く続いた冬は何十年も前に終わりを告げ,空気は少しずつ暖かくなっていた.緑の草が生い茂るようになり,樹木が伸びてきていた.彼らは草を食べる獣を狩り,木の実やキノコを集めて食べていた.

 彼らは子を産み育て,一族は数を増やしていった.しかし,増えすぎた人口は周辺の資源では賄いきれなくなってきた.人口は 300 名を超えていた.彼らは増え続ける人口を養うためにさらに遠くまで狩りに出かけ,また薪のためにさらに遠くの森へ行き,木を伐採しなければならなかった.

 やがて,遠くまで出かける労力も追いつかなくなった.一族の内部では資源をめぐって深刻な対立が起きるようになった.一族は二つの派閥に分かれた.抗争は時に殺し合いにまで発展し,もはや分裂は時間の問題だった.

 一方の派閥がこの地を離れることを決意した.その数,100 名あまり.若い男女が多かった.比較的年長の男女はこの地に留まることを望んだ.若い男女が多くの子供を連れて立ち去る結果となった.

 旅立ちの前夜,広場で宴が催された.肉と酒と果実が振る舞われた.若者たちは焚き火の周りで踊り,年長者たちは静かに語り合い,子どもたちははしゃいでいた.踊りのさなか,数組の男女が手をつないで各々の天幕に入っていく.火が消える頃には広場から人影は消え,イヌたちが残飯をあさっていた.夜空には色とりどりの光の柱が立ち現れていた.その夜の光は格別に華やかだった.

 翌朝,彼らは東に立ち去った.立ち去る群れに子供を託す母親もいた.望んで親元から立ち去る子供もいた.この地ではもう生きていけないと皆が分かっていた.残された子供は口減らしのために殺される運命にあった.そして彼らが生きて出会うことは二度となかった.

 旅路は時に過酷だった.祖先から伝え聞いた話では,太陽の昇る方向に海を渡る狭い回廊があり,その先には大きな陸地があるとのことだった.彼らは半年かかって海に到達し,北へ向かった.丘をいくつか越えた先に回廊はあった.彼らは回廊を東に進んだ.回廊は時に海に阻まれた.彼らは筏を作り,海を渡った.海を渡るさなか嵐に遭い,沈んだ筏もあった.

 かつて住んでいた平原にいた大型の獣はもはやおらず,波打ち際で採れる貝が貴重な食料だった.時に岩場に群れで生息する獣は,格好の獲物だった.そのような狩場を見つけると,彼らはしばらくそこに滞在した.そして獲物を狩り尽くして食料がなくなると,彼らは再び東進を始めた.

 さらに数年が過ぎた.旅立ちの日に子供だった者のうち,半数が死んだ.生き残った子供は成長し,子供を産んだ.誰が父親になるかをめぐって対立や駆け引きもあったが,父親になれたのは狩りの上手な男だった.女が男を選んだ結果,そうなった.この時代には強い男が子供を作るのが当然とされていた.

 ある朝,見張りの若者が水平線に陸地が見えると叫んだ.群れのリーダーはすぐさま立ち上がり,丘の上に向かった.回廊の彼方,水平線にかすかに他とは違う色が見える.彼は記憶の中からこれまでの情景を思い出していた.これまでにも水平線に陸地が見えたことはあった.だが,それは水平線の上に揺らぐ幻だった.時間が経つと幻は消えてしまい,いっときの興奮は落胆に終わった.

 今回も幻ではないのか?まず疑った.しかしいつもの幻なら揺らいでいるはずだ.今日のはそれほど揺らいでいるようには見えない.もしかすると…

 群れは興奮に沸き返った.故郷を捨て,多くの犠牲を払って旅立った彼らの労苦が報われる時が来た.いつまで続くか分からなかった長い旅路は,ようやく終わりを告げようとしていた.